人手不足、設備の老朽化、気候変動による災害の激甚化……。国内産業の最前線には様々な課題やリスクが存在する。強く持続的な経済を構築し、国民の生活を支えていくためには、産業の大動脈である電力やガスなどの社会インフラを、確実に運用し、管理していく必要がある。新しいエネルギーの導入、新技術の社会実装など強い経済の構築を目指す動きを加速させるためにも、産業活動における安全確保は不可欠だ。
今回の政策特集は、産業の挑戦や国民の生活を支える産業保安・安全政策の最前線をリポートする。初回はクリーンエネルギーとして注目される「水素・アンモニア」。その活用推進と保安対策とは――。

FC車に水素を充てんする水素ステーション(© 岩谷産業株式会社)
カーボンニュートラル実現の鍵に
水素・アンモニアは、新たなエネルギー源として、鉄鋼、モビリティ、発電といった幅広い分野での活用が期待されている。
「第7次エネルギー基本計画」(2025年2月18日閣議決定)は、水素・アンモニアを「2050年カーボンニュートラル実現に向けた鍵となるエネルギー」と位置づけ、「日本成長戦略」(2026年7月21日閣議決定)では、「水素等」を官民投資で優先的に支援する「主要な製品・技術等」の一つとして、「官民投資ロードマップ」を策定した。
また、2024年に施行された「水素社会推進法」では、新たに計画認定制度を創設し、認定した供給事業者に対する助成金や高圧ガス保安法、港湾法などの特例措置を設けた。低炭素水素・アンモニアを発電や製鉄、化学産業などの原燃料に利用した場合、従来の化石燃料に比べてコストを要することから、助成金を通じて、その差額を15年間にわたって支援することで、事業者の投資予見性を高め、大規模サプライチェーンの構築を促すこととしている。さらに、「グリーンイノベーション基金」などを活用して社会実装に必要な技術の開発・実証も進めている。
今後は水素社会の実現に向けて、規制・支援一体的な政策を講じ、コストの低減と利用の拡大を両輪で進めていく方針だ。
官民一体で動き出す「水素大動脈構想」
こうした動きを背景に、2026年にスタートを切ったのが「水素大動脈構想」だ。
この構想は、水素社会の実現に向けて、「研究開発」「社会実装」「国際展開」の三つを柱に重点的に取り組み、モビリティや発電、産業の分野で、早期の社会実装と需要創出を目指している。
既に技術が商用化されているモビリティ分野では、2025年5月に選定した重点地域とそれらをつなぐ幹線道路を中心に、商用のFC(燃料電池)車の集中導入や大型水素ステーションの整備をはじめ、普及に向けた取り組みを進めていく。
2026年6月には、経済産業省が主導して「水素大動脈構想実現会議」の初会合を開催。東京都や水素バリューチェーン推進協議会(JH2A)、クリーン燃料アンモニア協会(CFAA)、日本自動車工業会など関係団体・業界の代表らが出席した。今後は年1回のペースで全体会合を開催。ワーキンググループを設置し、具体的な議論を進めていく。

2026年6月に開催された「水素大動脈構想実現会議」の参加者ら
「水素・アンモニア保安室」を新設
水素大動脈構想の実現を含め、水素・アンモニアの社会実装を推し進めていくために不可欠なのが、安全な活用を担保する保安政策の確実な整備・実行だ。
水素は無色・無臭のガスで、そのままの状態では人間の感覚で検知することは困難。他のガスと比べて拡散しやすく、わずかな隙間からでも漏洩する可能性があり、静電気程度のわずかな火で着火し、爆発する恐れもある。アンモニアは強い刺激臭があり、毒劇法では劇物に指定されている。酸と激しく反応するほか、銅、アルミニウム、亜鉛を侵食するといった特性がある。
経済産業省は2023年に「水素保安戦略」を策定し、「技術開発等を通じた科学的データ・根拠に基づく取組」「水素社会の段階的な実装に向けたルールの合理化・適正化」「水素利用環境の整備」を柱に、基準の整備や規制のあり方の見直しを進めてきた。
ここに来て、水素大動脈構想など官民一体での水素・アンモニアの社会実装に向けた動きが加速化していることを踏まえ、「新技術の社会実装に向けた動きに的確に対応していく」との方針で取り組みを強化している。2026年7月には、「水素・アンモニア保安室」を新設し、水素・アンモニアの社会実装を保安面から支えるための組織体制の充実を図った。
「タスクフォース」で科学的データを戦略的に獲得
水素大動脈構想の推進に向けては、「大規模水素ステーション」の建設が今後、急速に進むことが予想される。このため、液化水素スタンドに関するルール整備、圧縮水素スタンド関連の規制見直し、大容量圧縮水素輸送トレーラに関する課題整理など、新技術の社会実装に向けた制度整備のために必要な科学的データを、着実に蓄積する必要がある。
こうした水素保安に関係する基準策定や規制見直しに戦略的に取り組むため、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、高圧ガス保安協会の3者は、2023年に「水素保安タスクフォース」を設置。2026年8月現在で、すでに29回の会合を重ね、科学的データの収集が必要な課題の共有や個別プロジェクトごとに必要な保安対策に関する議論を続けている。
また、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、日本自動車研究所(JARI)、物質・材料研究機構(NIMS)など、水素関連の実験や実証試験が実施可能な施設のある機関が参加する「水素実験・実証アライアンス」を設立。経済産業省ホームぺージにある「水素保安ポータルサイト」上で、水素の実験・実証研究ができる施設の一覧を掲載すると共に、参加機関同士の有機的な連携を促進している。

水素実験・実証アライアンスの参加機関が持っている実験・実証試験施設の分布図
「社会実装を遅らせることなく」「安全を確実に担保」
「新しい技術が社会実装される前に、必要十分な保安基準、保安規制が科学的なデータに基づいて定められている必要があります。技術の進展にしっかりとキャッチアップしながら、社会実装を遅らせることなく、かつ社会に対する安全を確実に担保できる形で進めていくことが重要です」
水素・アンモニア保安室室長補佐の大森敬之さんは、水素・アンモニアの社会実装を進めていくためにも、保安面での迅速かつ的確な対応が不可欠だと強調する。
そのために重要となるのが、一般の国民や事業者の保安規制についての理解だ。
特に水素・アンモニアの社会実装の担い手となる中小を含めた事業者にとっては、「つくる」「ためる」「はこぶ」「つかう」というサプライチェーンの各段階で、「高圧ガス保安法」「ガス事業法」「電気事業法」などの産業保安関連法令をはじめ、「労働安全衛生法」「消防法」「毒劇法」等々、使用形態などに応じて、様々な法令の順守が求められることになる。

水素・アンモニアのサプライチェーンと関係法令のイメージ
パンフレット、ポータルサイトで情報を発信
そこで経済産業省は水素・アンモニアの性質や取り扱い、保安規制について紹介するパンフレットを作成し、公表している。また、水素保安ポータルサイトでも、制度や技術、利用可能な水素実験・実証環境、専門的な相談窓口などについて情報を発信、安全な水素事業の社会実装を後押ししている。今後も、特に大規模な水素・アンモニア関連の事業などについて、モデルケースを整理し、適用される法令などについて情報発信していく方針だ。
大森さんは、「新規参入される事業者の方々には、自分たちの事業に水素・アンモニアを活用する場合、どのような法律が関わってきて、順守しなければならないのか知ってもらう必要があります。パンフレットやポータルサイトも活用していただき、水素・アンモニアの保安について理解を深めてほしい」と語っている。
【関連情報】
水素保安ポータルサイト
水素・アンモニア等の保安について
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