新潟県に出張した折、燕市に立ち寄ってみた。この街はカトラリー、すなわちナイフ、フォーク、スプーンといった金属製洋食器の産地として知られている。燕の洋食器メーカーで作る業界団体「日本金属洋食器工業組合」によると、燕市の金属洋食器生産には100年以上の歴史があり、全国生産量の約9割のシェアを誇っているという。そういえば、その年のノーベル賞受賞者らが集まるノーベル賞晩餐会で使われるカトラリーも燕産のものだ。
毎日、風呂上がりにヨーグルトを食べることが日課になっているが、ちょうど良いスプーンがない。せっかくなので、国内外から高く評価されている燕で探してみようと思った。
ノーベル賞晩餐会で使用された山崎金属工業のカトラリー
手作り体験ができる産業史料館 海外客も多く
東京方面から上越新幹線で燕三条駅に向かうと、右側がハサミや包丁、キッチン用品などの金物の街・三条市、左側がカトラリーの街・燕市になっている。地元の人に話を聞くと、「駅の名前が燕三条なので、初めて来た人たちの中には『燕三条市』という一つの街だと勘違いしている人がけっこういますが、別々の都市です」と控えめに語っていた。ここは両市市民の名誉のためにも間違えないようにしたい。
燕市はどのようにして洋食器の産地となったのだろうか。燕三条駅からほど近い燕市産業史料館を訪ねると、本館に燕の金属産業の歴史と技術を紹介するパネルや製品の数々が分かりやすく展示されている。
このほか史料館には江戸幕府五代将軍・徳川綱吉愛用の煙管(キセル)などがある「矢立煙管館」、約5000本もの世界のスプーンを展示する「世界のスプーン館」などもあって興味が尽きない。
体験工房館では、銅のタンブラーを金づちでたたいて模様を入れる「鎚目(つちめ)入れ体験」、スプーンに電流を流してきれいな色の被膜を作る「チタン製スプーン酸化発色」、錫(すず)板を木槌でたたいてオリジナル小皿を作る「錫の小皿づくり体験」などの体験もすることができる。
燕市産業史料館の館長・高橋裕貴さんは「定番の体験だけでなく、『彫金製作』など期日限定の体験もあるので、気軽に問い合わせてください。参加者は国内だけでなく、アメリカやヨーロッパ、アジア各地など海外からもたくさんいらっしゃっています。燕の金属産業について、もっと広くいろんな方に知ってもらいたいと思います」と話していた。
ノーベル賞晩餐会で光るカトラリー 磨きの技が段違い
日本金属洋食器工業組合には、燕の金属洋食器メーカー28社が加盟している。そのうち、ノーベル賞晩餐会で使われるカトラリーを製造しているのが「山崎金属工業」だ。
ノーベル賞晩餐会の食器が置かれている様子を再現したテーブル(山崎金属工業で)
副社長の山崎修司さんは、「当社の磨きの技術を体験してもらいたい」と、スプーンが研磨だけでどれだけ変わるのか比較実験を用意してくれた。同じ材質、大きさ、形の金属板が二つ。一つは一般的に売られているスプーンと同じように研磨したもの。もう一つは山崎金属工業の技術で磨いたものだ。
寒天に刺してみると、感触が全然違う。山崎製品の方が摩擦を感じずにするっと滑り込む感じがした。刺し終わったあとを見ても、一般スプーンの方はギザギザしているのに、山崎製品はどこに刺したのかすぐには分からないほどだった。同じように一般的な研磨のスプーンと山崎金属工業の基準で磨いたスプーンで、コーヒーゼリーを食べ比べると、食感も全く違い山崎の方が食べやすかった。
「アクアティック デザートスプーン *ディナー用」世界中で人気のシリーズで、持ちやすいなめらかな曲線が特徴。鏡面のようなつやと透明感がある仕上がり。
「ゼリーの食べ比べでは、9割以上の人が当社の技術で磨いたスプーンの方がおいしく感じると答えてくれます。日本人は、箸については用途に合わせて使い分けをすることもあるのに、ナイフやフォーク、スプーンはそうしていません。一般の食堂やレストランでも、よく見るとフォークの歯の間に黒いものが見えることがあります。洗い残しやサビです。そうしたものを気にせずに使うのは、欠けた箸を使っているようなものです」と山崎さんは語る。
「安価品スプーンは10工程以下のものもありますが、当社では少なくとも30工程。多いものだと55工程にもなります」と山崎さん。「デザインにもこだわり、持ちやすさや並んだときの見た目などを追求。プレスの技、磨きの技、そして厳しい検査。それらを、何一つ手を抜くことなく高いレベルで行っています」
伊勢神宮式年遷宮を記念して製作、2013年に伊勢神宮に奉納したカトラリーを紹介する山崎さん
そうした技術の成果の一つがノーベル賞晩餐会での採用だった。ノーベル賞創設90周年の1991年に、晩餐会会場がストックホルム市内のホテルからシティホールに変更され、テーブルウェアも新調されることになった。
その際、デザイン、材料、メーカーもすべてスウェーデンであることが前提だったが、カトラリーについてはスウェーデン国内では品質や数量の対応が難しかった。
以前から海外デザイナーとも交流してきたという山崎金属工業。テーブルウェア新調プロジェクトの担当デザイナーとも親交があり、「日本にヤマザキという素晴らしい会社がある」と推薦してくれたのだという。
2023年に開催されたG7新潟財務大臣中央銀行総裁会議で記念品として贈られた「YUEN」
ヤマザキの食器はさらに、JR九州の豪華列車『ななつ星』や、JR東日本の豪華列車『トランスイート四季島』でも採用されており、旅を心豊かにしてくれる特別料理を味わうのに欠かせないものになっている。
神保町のカレー専門店やカレー愛好家らの声を聞いて開発された「カレー賢人」(左の3本)と、スープをおいしく飲める「スープ賢人」(右の2本)
山崎さんは「台湾で行ったイベントで、うちのスプーンを愛用しているというお客様が、『このスプーンで食事をすると生活が豊かになり幸せな気持ちになれる』と熱弁してくれたことが強く印象に残っています。どこの国や地域でも一般的な食器は作れます。しかし本当に上質なものには受け継がれてきた職人の技が不可欠。これからも日本人でなくてはできない丁寧な仕事で、最高品質のカトラリーを世界に提供していきたいと考えています」と話していた。
お手頃~最高品質までそろえる世界唯一の地
「LUCKYWOOD」のブランドで知られる小林工業も、燕を代表する洋食器メーカーの一つ。社長の小林貞夫さんは、「職人の技が燕のカトラリー産業の要」と強調した。「我が社は、安全で安心できる、日本人が使いやすい食器作りを目指しています」とも。
職人たちが一つ一つ丁寧に磨いて仕上げていく(小林工業で)
「60年以上うちの製品を使っているという方にお会いしたことがあります。その製品を見せてもらうと、今も新品同様でした。そして『娘が結婚したときに、同じセットを贈りました。孫たちにも同じようにこのセットをプレゼントするのが夢です』と話してくれました。それを聞いて、私たちがやってきたことは間違っていなかった、と確信しました。これからも、安全、安心で使いやすく、手入れも楽なバランスの良い商品を提供していきたい」と話す。
普段使いに必要なアイテムが2本ずつペアになっている「レイリア 10pc.ペアディナーセット」
ハンドルに幅を持たせ、裏面に丸みを付けることで、持ちやすさと機能性を実現した〈レイリア〉シリーズ。仕上げの美しさが際立つ
小林さんは「日本金属洋食器工業組合」の理事長でもある。
「燕には、手頃なものから最高品質のものまで、デザインや価格も多種多様な食器がそろっています。どんなお客様の要望にもこたえられる金属洋食器を用意できるのは、世界でもこの燕だけです。長い間数多くの職人がつないできたバトンリレーをこの先も絶やすことなくつなぎ、世界に誇る燕の洋食器作りの名をさらに高めていきたい」
「今では一般的になっているステンレス製の洋食器を世界で初めて量産したのが燕の職人たちです」と語る小林さん
職人向けに生まれた「燕背脂ラーメン」
余談になるが、燕市では、「燕背脂ラーメン」が、新潟県を代表するご当地ラーメンとしてよく知られている。文化庁認定の「100年フード」の一つにも選ばれている。コシのある極太麺と、魚介系の出汁が効いたしょうゆ味スープ、たっぷりふりかけられた豚の背脂が特徴だ。
このラーメンの誕生にも、金属加工産業が深く関わっていると、山崎さんが教えてくれた。金属洋食器製造が盛んな燕では、職人たちは夜遅くまで働いていた。忙しい職人たちのため考案されたのが、腹持ちが良く、濃厚で冷めにくい背脂ラーメンだったという。洋食器作りが、結果として思わぬ名物を生み出したことになる。
帰りの新幹線を待つ間、燕三条駅の2階にある地元特産品の販売コーナーをのぞいた。なるほど1本350円の安価なものから5000円以上もする高級品までさまざまなスプーンやフォーク、ナイフが並んでいる。その中から、「これだ」と思うスプーンを選び、2本購入した。これから毎日このスプーンを使ってヨーグルトを食べよう。
#燕のカトラリーの歴史
燕の金属産業は約400年前の江戸時代初期、和釘(わくぎ)作りから始まった。江戸でたびたび起きた大火のために大量の釘が必要になり、その需要に応えるため、1600年代後半の燕には1000人もの釘鍛冶がいたという。
その後、煙管やヤスリなどの鉄器のほか、ヤカンなどの銅器も製造されるようになり、金属の表面に模様などを刻む「彫金」や、1枚の金属板をたたいて成形する「鍛金加工」などさまざまな技術が磨かれていったという。
洋食器製造は1911年、東京・銀座の十一屋商店から依頼されたことに始まる。燕の金属加工職人の腕を見込んでのことだった。1914年に第一次世界大戦が始まると、主戦場となったヨーロッパでは生活用品が不足。その結果、洋食器などの日本への注文が急増し、燕は金属洋食器生産地として発展していった。
<今回訪れた場所>
・燕市産業史料館
・山崎金属工業
・小林工業
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