熊本地震から10年という節目を迎えた今年、熊本は再び大きな地震に見舞われました。
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
復興のシンボルである熊本城と、人々の歩みを伝える本記事を、改めて掲載します。
経済産業省では、令和8年熊本地震に関連する被害・対応状況について、下記特設サイトにて情報発信を行っています。
令和8年熊本地震に関連する被害・対応状況ページ
(以下は、2026年1月16日に公開した記事です)
復旧しかつての雄姿を再び見せる天守閣
熊本の人に「熊本城とは?」と聞くと、「なくてはならないもの。空気や水と同じです」という答えが返ってきた。築城したのは加藤清正で、1607年に完成。清正は「せいしょこさん」と親しみを持って呼ばれ、現在では神様のように慕われている。熊本県内各地に、清正を祀る神社が多数ある。城内にある加藤神社では、毎年、清正公祭りがあるほどだ。清正は治山治水工事や水田の開発にも力を入れた。
熊本城でボランティアガイドを務める足立久美子さんが、こんなエピソードを教えてくれた。「細川家初代藩主の細川忠利は、着任してみると素晴らしい城であり、54万石から70万石に石高を増やしていた領地のことを知り、たいそう喜んだそうです」
復旧状況の説明をするボランティアガイドの足立久美子さん
わくわく座で城知識を深めて
熊本城へは、九州新幹線熊本駅から市電に乗り15分。熊本市役所前で降りる。すぐに坪井川に面して、城の長塀が続く。この塀は国の重要文化財で、現在は地震の影響で公開されていないが、塀の北側の竹の丸には肥後六花、すなわち肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花が植えられている。塀を横に見ながら西へ向かう道は、すがすがしい遊歩道だ。
200mほど歩き、右折すると観光案内所や飲食店などが集まる「桜の馬場城彩苑」だ。一角にあるミニ博物館「熊本城ミュージアムわくわく座」では、シアターを見て熊本城の基礎知識を学んだり、細川忠利から客人として招かれていた宮本武蔵が登場するクイズに挑戦して、歴史上の人物を知ることができる。 天守閣へ向かう前に立ち寄って基礎知識を得ておきたい。
わくわく座では、芝居やVRで熊本城の歴史を紹介
ミニチュアながら石垣積み体験も楽しみ(わくわく座)
地震の爪痕、復旧を応援
城内は広大だ。98ha、東京ドーム21個分の面積がある。城彩苑から歩き始めると、工事中の地上を見下ろしながら歩くことのできる特別見学通路と呼ばれる回廊が天守閣近くまで設けられている。観光案内所から30分おきに地元のボランティアガイドがこのルートを巡るので、一緒に回ることが可能だ。ガイドと一緒に巡らなくても、誰でも途中で質問するとていねいに答えてくれる。
天守閣は完全復旧したが、そのほかの石垣や櫓にはあちらこちらに10年前の熊本地震の爪痕があり、痛々しい。復旧が終わるのは、2052年を予定している。 築城当時は49の櫓のほか多くの建造物があったが、明治時代以降に解体され、西南戦争の火災で多くを焼失し、現在13の建造物だけが残り、国の重要文化財になっている。その建造物も地震で大きな被害を受け、重要文化財を優先して復旧工事が進んでいる。
石垣は、973面ある。もっとも有名なのは、二様の石垣だ。石垣は、見事な曲線を描いている。「石を積んだ後に磨いたのではありません。表面が平になるように積み上げたのです」と足立さん。地震の被害は、石垣517面におよぶ。約10万個の石を正確に元通りに復元する工事が今も続いている。
復旧を進めている熊本城では現在、「復興城主」を募集している。1口1万円以上を寄付した人に、「城主証」を発行している。また、天守閣4階のデジタル芳名板に名前が映し出される。
いまだ爪痕が残る数寄屋丸二階御広間
武者返しが特徴の二様の石垣
ハート型の石を探して
数寄屋丸ではかつては能や茶会、歌会が催され、接客の場として使われていた。足立さんが「あの石垣の石を見てください。一つだけハート型の石があるのが分かりますか?」と指さした。よく見ると一つだけ石の色がピンク色で、ハート型になっていた。たまたまこのような形の石が石垣に使われたのだが、今では熊本城の隠れた見所の一つになっている。
「下の穴を見てください。なんだか分かりますか?」とさらに足立さん。大きな穴が開いていた。 一度埋めた井戸がまた顔を出したのだという。清正は城内に120もの井戸を掘ったという。水の都・熊本らしい話だ。阿蘇西麓に降った雨が約20年かけて熊本市内で湧き出しているのだ。
見つけたら幸せになれそうなハート型の石
いざという時のための構造
天守閣へ向かう見学用通路は、やがて地下に潜る。ここで見られるのは「闇(くらが)り通路」と呼ばれる城内の正式なルートで、本丸御殿、天守閣への玄関があった。平成20年に行われた本丸御殿の復元工事では、檜、赤松、栗をはじめ全国から貴重な木材が集められた。本丸御殿は絢爛豪華な装飾が施された建物で、接待と殿様の住居として使われたという。もっとも格式が高いのは、「昭君の間」。7年先の復旧後には、一般客も見学できるようになるという。
この闇り通路につながる隠し通路や隠し部屋がいくつもあり、いざというときのために身を隠したり、逃げたりする構造になっている。
闇り通路を抜けると、大天守閣、小天守閣がそびえる広場に出る。熊本城は、別名「銀杏城」と呼ばれるが、そのいわれとなったという大銀杏の木が天守閣の前にある。
城内への正式ルートだった闇り通路
熊本城の正面はどちらの側?
天守閣は31mの高さがある。天守閣を見上げると、下見板と呼ばれる黒い板が壁面を覆い、豪壮で威風堂々としている。
1877年の西南戦争では熊本城が戦地となり、開戦直前に天守・本丸御殿一帯が焼失してしまう。が、1万3000人の兵を率いた西郷隆盛の薩摩軍は、約3000人の政府軍が籠城した熊本城に一歩も入れなかった。いかに堅牢な守りなのかが、よく分かる。内部は、1階が加藤時代、2階が細川時代、3階が西南戦争、4階が現代、6階が展望フロアと各階ごとにテーマのある展示だ。展望フロアはガラス張りで、東西南北が見渡せる。東側の面からは、晴れ渡った日には阿蘇山の噴煙がよく見えるという。
熊本城の正面がどの方向かという議論があるが、南側という説がある。鯱が左右に見え、もっとも警戒していた薩摩藩の方向に正面を向けているからだ。とはいえ、東面や西面が正面だとする説も根強い。
天守閣からは熊本の街や阿蘇山などを見渡せる
“なくてはならないもの”を実感
昼食をとるなら、城見学の起点であった城彩苑に食事処が集まっている。その一軒、「山見茶屋」では郷土料理を提供する。名物は熊本名物の肥後のあか牛と馬肉の溶岩焼きだ。どちらもさっぱりしていて、噛みごたえがあり、とてもおいしい。ほかにも馬刺し、だご汁などもあり、どれも熊本を感じる逸品である。
旅の締めくくりに、ライトアップされた熊本城を眺めたい。城に面した通り沿いに立つ熊本市役所の14階に展望ロビーがあり、ここから天守閣を一望。日が落ちて山の稜線がかすかに見える夕景も、闇夜に黒と白の天守閣が浮かび上がる夜景も、まさに幽玄の世界。熊本の人たちにとって「なくてはならないもの」であることを実感。
熊本地震の発生から、2026年4月で10年という節目。「支えられた日々を、支え合う力に。」をコンセプトに、通年でさまざまな事業が予定されている。「犠牲になられた方々への追悼と想いの継承」「復旧・復興の歩みの振り返り」「未来への教訓等の伝承」「支援への感謝と恩返し」の四つが基本方針だ。
3月には熊本城二の丸広場を中心に「春のくまもとお城まつり」を開催。古武道演武会や太鼓響演会、薪能などが行われる予定だ。4月~5月には城内で、10年の復旧の記録をパネルやモニターで紹介する企画展が予定されている。8月には、「静寂」をイメージした音と石垣のライトアップによる夜間開園も行われる予定だ。10月3・4日には熊本城ホールで、日本最大級のお城の祭典「お城EXPO」の特別版を開催。熊本城復旧の現状を全国へ発信する。
山見茶屋では肥後のあか牛や馬肉を溶岩で焼くメニューが名物
熊本の象徴としての雄姿を見せる天守閣の夜景
#熊本城とは?
1607(慶長12)年、加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じて完成させた名城。大天守と小天守が荘厳な雰囲気を漂わせている。大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建てで、小天守は外観2重、内部は地上4階地下1階建て。1877(明治10)年の西南戦争開戦直前に起こった火災で大天守、小天守ともに焼失したが、1960(昭和35)年に再建。2016(平成28)年に起こった熊本地震では、鯱瓦が落下したり、石垣の一部が崩落するなどの被害があったが、天守閣は2021(令和3)年に完全復旧した。国の重要文化財建造物は、宇土櫓、田子櫓、長塀など13棟ある。
訪れた施設
熊本城
熊本城ミュージアムわくわく座
山見茶屋
熊本市役所展望ロビー
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